射出成形部品の燃焼の原理と難燃剤の仕組み

射出成形における難燃グレード完全解説(前編)
5G通信機器、スマート家電、情報通信機器、産業用制御機器といった先端技術製品の普及に伴い、その主要構成材料であるエンプラの重要性はますます高まっています。これらの製品は、小型化・高性能化を追求する中で、内部に高電圧部品や発熱部品が密集する傾向にあり、潜在的な火災リスクへの対策が不可欠です。特に、複雑な形状を効率的に生産できる射出成形によって製造されるエンプラ部品においては、材料自体に適切な難燃性を付与することが、製品の安全性と信頼性を担保する上で極めて重要な課題となります。
射出成形部品の設計者にとって、難燃剤に関する体系的な知識はなぜ必要なのでしょうか。それは、設計初期段階での材料選定が、製品の安全性確保はもちろんのこと、コスト、生産性、そして何よりも国内外の法規制への適合性に直結するからです。不適切な難燃材料の選定は、製品リコール、ブランドイメージの失墜、さらには法的な責任問題に発展するリスクを孕んでいます。また、環境規制の強化は難燃剤のトレンドを大きく左右し、使用可能な物質が常に変化しています。したがって、設計者は、難燃メカニズムの理解、各種難燃剤の特徴と限界、最新の規制動向、そして材料の物性や成形性への影響といった多角的な視点から、最適な材料を選び出す深い洞察力が求められます。本コラムでは、このような設計者のニーズに応えるべく、エンプラに用いられる難燃剤について、その基礎から最新技術、規制動向、選定ポイントまでを体系的に解説します。
燃焼の三要素とエンプラの燃えやすさ
可燃物・酸素供給体・熱源の説明
物質が燃焼するためには、「可燃物」「酸素供給体」「熱源(点火源)」の三つの要素が同時に存在する必要があります。可燃物とは燃える物質そのものであり、エンプラの場合は樹脂自身がこれに該当します。酸素供給体は燃焼を助ける酸素で、通常は空気中の酸素がこの役割を担います。そして熱源は、可燃物を発火点以上の温度に加熱するもので、電気火花や過熱した部品などが考えられます。これらのうち一つでも取り除けば、燃焼は開始せず、また継続することもありません。難燃化技術は、これらの要素のいずれか、あるいは複数に作用することで燃焼を抑制または遅延させることを目的としています。
酸素指数(LOI)による代表的エンプラの難燃性比較
エンプラの燃えやすさを示す客観的な指標の一つに「酸素指数(LOI: Limiting Oxygen Index)」があります。これは、規定された試験条件下で材料が燃焼し続けるために必要な最低酸素濃度(体積%)を示す値です。LOI値が高いほど、より高濃度の酸素環境でなければ燃え続けないことを意味し、難燃性が高いと評価されます。
例えば、PE やPPのLOI値は17~18%程度であり、空気中の酸素濃度(約21%)よりも低いため、一度着火すると容易に燃え広がります。一方、PC は25~27%、mPPEは28~30%と比較的高く、自己消火性を示しやすい傾向があります。さらに、PPS やPEI (ポリエーテルイミド)のようなスーパーエンプラでは40%を超える高いLOI値を持つものもあります。ただし、これらの値は一般的な目安であり、実際の難燃性はグレードや添加剤、製品の形状によっても変化します。
難燃剤添加による酸素指数の向上
汎用エンプラや一部のエンプラは、そのままで十分な難燃性を有していないため、難燃剤を添加することで酸素指数を大幅に向上させることが可能です。例えば、元々のLOIが比較的低いPA66でも、適切な難燃剤を添加することにより、LOI値を30%以上に高め、厳しい難燃規格をクリアできるようになります。
難燃化手法の全体像
エンプラの難燃性を高めるためのアプローチは多岐にわたりますが、主要な手法としては以下のものが挙げられます。
不燃性無機物質の添加
水酸化アルミニウムや水酸化マグネシウムといった金属水酸化物を樹脂に比較的多量に練り込む手法です。これらの無機物は、燃焼時に吸熱分解し、多量の水蒸気を発生させます。この水蒸気が可燃性ガスを希釈し、燃焼界面の温度を低下させることで難燃効果を発揮します。コストが比較的安価である一方、機械的物性の低下を招きやすいため、添加量や用途が限定される場合があります。
表面難燃化処理(塗布など)
成形品の表面に難燃性のコーティング剤を塗布したり、難燃性フィルムをラミネートしたりする後加工による手法です。主に大型の部品や、材料自体への練り込みが困難な場合に適用されます。ただし、表面処理層の耐久性(傷や剥離)が難燃性能の持続性に影響する可能性があります。
難燃剤の添加
樹脂のコンパウンド時や成形加工時に、比較的少量の化学物質(難燃剤)を練り込むことで難燃性を付与する、最も広く採用されている手法です。難燃剤の種類は多岐にわたり、それぞれ異なる作用メカニズムで効果を発揮します。コストと効果のバランス、樹脂との相性、そして環境規制への対応が選定の鍵となります。
樹脂自体の難燃化(自己消火性樹脂)
分子構造そのものが燃えにくい性質を持つ樹脂、いわゆる自己消火性樹脂を利用するアプローチです。例えば、分子内にハロゲン元素や芳香環構造を多く含む樹脂は、本質的に高い難燃性を示すことがあります。代表例としては、PVC 、PPS、PEI (ポリエーテルイミド)、mPPE、PTFEなどが挙げられます。これらの樹脂は優れた難燃性を持つ反面、高価であったり、特殊な成形条件が必要であったりする場合もあります。
難燃剤の作用機構
難燃剤がどのようにして燃焼を抑制するのか、その作用機構は複雑で多岐にわたりますが、主に以下のメカニズムが知られています。
気相での作用
燃焼している炎の中、つまり気相で作用するメカニズムです。難燃剤が熱分解して発生する成分が、燃焼連鎖反応を担う高活性なラジカル種(HラジカルやOHラジカルなど)を捕捉し、不活性化することで火炎を抑制します。この作用は特にハロゲン系難燃剤(特に臭素系)で顕著に見られます。また、熱分解時に窒素ガスや水蒸気のような不燃性ガスを発生させ、可燃性ガスや酸素の濃度を希釈する効果も気相での作用の一つです。
固相(凝縮相)での作用
材料の固体表面や内部、つまり固相で作用するメカニズムです。代表的なものとして、チャー(炭化層)形成があります。難燃剤が樹脂の熱分解時に脱水炭化反応を促進し、材料表面に断熱性および酸素遮断性に優れた炭化層を形成します。この炭化層が、内部への熱伝導や可燃性ガスの放出を抑制し、燃焼の継続を困難にします。リン系難燃剤の多くはこの作用を示します。また、無機系難燃剤である水酸化アルミニウムや水酸化マグネシウムは、熱分解時に吸熱反応を起こし、材料自体の温度上昇を抑制する冷却効果も固相での重要な作用です。さらに、一部のリン系難燃剤は溶融してガラス状の保護膜を形成し、酸素の供給を遮断する表面密閉作用も示します。
相乗効果
複数の難燃剤や助剤を組み合わせることで、それぞれを単独で使用した場合の単純な合計以上の難燃効果が得られる現象を相乗効果と呼びます。最もよく知られているのは、ハロゲン系難燃剤と三酸化アンチモンの組み合わせです。三酸化アンチモン単独では難燃効果は低いものの、ハロゲン系難燃剤と共存すると、燃焼時にハロゲン化アンチモンという揮発性の高い化合物を生成します。これが気相で強力なラジカルトラップ剤として作用し、優れた難燃性を発揮します。しかし、近年では三酸化アンチモンの価格高騰や供給リスク、環境への懸念から使用が敬遠される傾向にあり、代替技術の開発が進んでいます。リン系難燃剤と窒素系難燃剤の組み合わせによるチャー形成促進なども相乗効果の一例です。
難燃剤の主要分類と最新動向
難燃剤はその化学構造から、ハロゲン系、リン系、無機系、そして窒素系やシリコン系といったその他の系統に大別されます。ここでは、それぞれの系統の代表的な種類、特徴、そして近年の動向について解説します。
ハロゲン系難燃剤
ハロゲン系難燃剤は、分子内に塩素(Cl)や臭素(Br)などのハロゲン元素を含む有機化合物で、高い難燃効果を比較的少量で得られることから長年広く使用されてきました。主な作用メカニズムは、燃焼時にハロゲンラジカルを放出し、これが気相で燃焼連鎖反応を停止させることです。
代表的な臭素系難燃剤としては、かつてTBBA (テトラブロモビスフェノールA)やDecaBDE (デカブロモジフェニルエーテル)などが挙げられますが、これらは環境残留性や生体蓄積性、燃焼時の有害ガス生成の懸念から、RoHS指令などにより国際的に使用が厳しく規制または禁止されています。DBDPE (デカブロモジフェニルエタン)も、一部のPBDEの代替として使用されてきましたが、同様の懸念から規制強化の動きがあります。
塩素系難燃剤では、塩素化パラフィンやデクロランプラスなどが知られていますが、デクロランプラスはPOPs条約の対象物質に追加され、2025年2月以降、原則として製造・使用が禁止される予定です。
このように、ハロゲン系難燃剤は環境規制の強化により、その使用は大幅に減少し、ノンハロゲン系への代替が急速に進んでいます。
リン系難燃剤
リン系難燃剤は、ノンハロゲン難燃剤の代表格として、ハロゲン系からの代替需要を背景に市場が拡大しています。分子内にリン(P)原子を含み、固相でのチャー(炭化層)形成促進効果と、気相でのラジカルトラップ効果(P・やPO・ラジカルによる)の双方で難燃性を発揮します。
主な種類としては、リン酸エステル系の化合物が挙げられます。これには、TPP (トリフェニルホスフェート)やその誘導体、さらには耐熱性、耐加水分解性、低揮発性を向上させた縮合リン酸エステル(オリゴマータイプ)などがあります。特に縮合リン酸エステルは、成形時の金型汚染や製品表面へのブリードアウト(滲み出し)が少なく、製品の長期信頼性向上に貢献するため、PC やPC/ABS、mPPEなどで広く採用されています。
赤リンも非常に高い難燃効果を持つリン系難燃剤ですが、自然発火性や有毒なホスフィンガス発生のリスクがあるため、その表面を樹脂などでコーティングしたマイクロカプセル化赤リンとして安全性を高めた形で使用されます。主にPA やPBTなどのポリエステル系樹脂に適用されます。
リン系難燃剤は、ハロゲンフリー化の潮流の中で中心的な役割を担っており、今後もさらなる高性能化(より少ない添加量での効果発現、物性への影響低減など)と用途拡大が期待されています。
無機系難燃剤
無機系難燃剤は、金属水酸化物や一部の無機塩類などから構成され、一般的にハロゲン元素を含まず、比較的安価で環境負荷が低いとされるものが多いのが特徴です。
代表的なものに水酸化アルミニウムと水酸化マグネシウムがあります。これらは加熱されると吸熱分解し、多量の水(水蒸気)を放出します。この吸熱による冷却効果と、水蒸気による可燃性ガスおよび酸素の希釈効果によって難燃性を発揮します。効果を得るためには樹脂に対して数十パーセントという多量の添加が必要となるため、樹脂本来の機械的物性(特に衝撃強度や伸び)や成形加工性が損なわれる傾向があります。そのため、電線被覆材や建材、一部の熱硬化性樹脂など、物性低下がある程度許容される用途で広く利用されています。
APP (ポリリン酸アンモニウム)も重要な無機系(または窒素-リン系)難燃剤で、リンと窒素の相乗効果により、主にPP などのポリオレフィン系樹脂や塗料、シーラントの難燃化に用いられます。
三酸化アンチモンは、かつてハロゲン系難燃剤の助剤として不可欠な存在でしたが、その原料であるアンチモンの産出が特定地域に偏在していること、そして近年の地政学的リスクや産出国の環境規制強化などにより、2023年後半から2024年にかけて価格が急騰し、供給不安も顕在化しています。2024年5月時点での価格は、2023年初頭と比較して約2.0~2.5倍に達しており、この「アンチモンショック」とも言える状況は、三酸化アンチモンの使用量を削減する、あるいは全く使用しない「アンチモンフリー」の難燃処方への移行を強力に後押ししています。
その他の難燃剤
上記の主要な系統以外にも、特徴的な作用を持つ難燃剤が開発・使用されています。
窒素系難燃剤としては、MCA (メラミンシアヌレート)やMPP (メラミンポリリン酸)などが代表的です。これらは主にPA (ポリアミド)樹脂に用いられ、燃焼時に不燃性の窒素ガスを発生させたり、リン系難燃剤と併用してチャー形成を促進したりする効果があります。
シリコン系難燃剤は、シリコーンオイルやシリコーン樹脂、シリカなどが該当します。燃焼時に表面にセラミック状のシリカ層を形成し、酸素遮断効果や断熱効果を発揮します。低発煙性、低毒性ガス発生といった利点があり、電線ケーブルや電子部品用途で注目されています。
さらに、ナノテクノロジーを応用したナノフィラー(ナノクレイ、カーボンナノチューブなど)を難燃助剤として少量添加することで、樹脂の燃焼挙動を改善する効果が期待され、研究開発が進められています。分散性やコスト、実用化に向けた課題はありますが、次世代の難燃技術として注目されています。また、地球環境への配慮から、植物由来のリグニンやセルロースなどを活用したバイオベース難燃剤の研究も活発化しています。
本コラム前編では、エンプラの難燃性に関する基本的な考え方から、主な難燃化手法、難燃剤が効果を発揮するメカニズム、そして主要な難燃剤の分類とそれぞれの特徴、最新動向について解説しました。コラム後編では、これらの知識を基に、現代の製品設計において避けては通れない環境規制(RoHS指令、REACH規則、POPs条約など)の詳細と市場トレンド、設計者が実際に材料を選定する上での重要なポイント、そして今後の難燃剤技術が抱える課題と将来の展望について詳しく掘り下げていきます。