ABSの特性と設計・射出成形でのポイント
ABS樹脂は、その加工性の良さと物性のバランスから、プラスチック材料の中で極めてポピュラーな存在です。多くの製品設計において、まずはABSを基準に検討が進められることも少なくありません。しかし、ABSは万能な材料ではなく、明確な限界点が存在します。特性のバランスが良いという事実は、裏を返せば「特定の環境下では際立った性能を発揮できない」ということでもあります。
材料選定において最も重要なのは、その材料が持つ「弱点」と、実際の「使用条件」を正しく照らし合わせることです。このコラムでは、府中プラの視点からABSの特性を詳細に解説し、どのような条件下だとABSは適さないか、また、その場合、どの材料へ置き換えるべきかについて詳述します。
ABSの特性
ABSの最大の特徴は、剛性、耐衝撃性、加工性、そしてコストのバランスがとれている点です。しかし、個々の特性を詳しく見ると、注意すべき点が多々あります。
ABSの構造(A・B・S 各成分の役割)
ABS樹脂は、アクリロニトリル(A)、ブタジエン(B)、スチレン(S)という3つの成分から構成されています。それぞれの成分が固有の役割を担っており、これらを組み合わせることでABS特有の性質が生まれます。
アクリロニトリルは耐熱性と耐薬品性、そして表面の硬度を向上させる役割を持ちます。ブタジエンはゴム成分であり、耐衝撃性を付与します。これがないと材料は脆くなります。そしてスチレンは、成形加工性と剛性(硬さ)を提供し、美しい光沢感を出します。これら3成分の比率を調整することで、耐熱グレードや高剛性グレードなど、多様な特性を持つABSが製造されます。
成形性・外観性
ABSは流動性が良好であるため、薄肉や複雑な形状であっても金型の隅々まで樹脂が行き渡りやすく、成形が容易です。また、非晶性樹脂であるため成形収縮率が小さく、金型通りの寸法が出やすいという利点があります。
さらに、二次加工性に優れる点も見逃せません。塗装やめっきの密着性が非常に良く、高級感のある外観仕上げが可能です。接着や溶着も容易であり、組み立てを要する製品にも適しています。このように、製造プロセス全体を通して扱いやすいことが、ABSが広く採用される理由です。
機械的特性(強度・ノッチ感受性)
機械的強度はエンプラと比較すると中程度です。引張強度や曲げ弾性率は汎用樹脂としては優秀ですが、特筆すべきほど高くはありません。
一方で、耐衝撃性は高いレベルにあります。しかし、ここで注意が必要なのが「ノッチ感受性」です。ノッチとは切り欠きや鋭角なコーナー部分のことですが、ABSはこうした部分に応力が集中すると、急激に強度が低下し、割れやすくなる性質があります。平滑な試験片では衝撃に強くても、鋭い角を持つ実際の製品形状では、想定よりも低い衝撃で破損することがあるため、R付けなどの設計配慮が不可欠です。
熱特性(HDTと高温での劣化)
ABSの熱変形温度(HDT:1.82MPa荷重下)は、一般的なグレードで85℃から100℃程度です。これは汎用樹脂としては標準的ですが、高温環境下での使用には限界があります。特に注意すべきは、HDTに近い温度域での剛性低下です。温度が上昇すると急激に軟化が進み、荷重を支える力が失われます。また、長時間高温にさらされると熱劣化が進行し、変色や物性の低下を招きます。したがって、発熱部品の近くや、高温になる環境での連続使用には不向きな材料です。
寸法安定性・吸湿の影響
ABSは非晶性樹脂であるため、結晶性樹脂に比べれば寸法安定性は良好です。しかし、吸湿性があるため、湿度変化によって寸法が微妙に変動します。また、成形後の残留応力の緩和や、温度変化による線膨張の影響も受けます。
PC(ポリカーボネート)やPBT(ポリブチレンテレフタレート)といったエンプラと比較すると、長期的な寸法安定性は劣ります。ミクロン単位の精度が要求される精密部品や、厳しい公差管理が必要な機構部品に使用する場合、環境変化による寸法変動が問題となる可能性があります。
耐薬品性の弱点

ABSの最大の弱点の一つが耐薬品性です。アクリロニトリル成分がある程度の耐性を持っていますが、それでも多くの有機溶剤や薬品に対して脆弱です。特にアルコール類、次亜塩素酸ナトリウム(漂白剤成分)、アセトン、シンナーなどには弱く、接触すると表面が溶けたり、膨潤したりします。さらに恐ろしいのが「環境応力割れ(ソルベントクラック)」です。製品に応力(成形時の残留応力や外部からの荷重)がかかっている状態で薬品が付着すると、プラスチックが化学的に劣化し、小さな力で突然亀裂が入ることがあります。日常的に清掃で薬品が使われる製品には大きなリスクとなります。
耐候性(紫外線)
ABSに含まれるブタジエンゴム成分は、化学構造の中に二重結合を持っています。この二重結合は紫外線(UV)のエネルギーによって切断されやすく、これが劣化の原因となります。屋外で日光にさらされると、短期間で黄変し、表面にチョークのような粉が吹く現象(チョーキング)が発生します。さらに劣化が進むと、衝撃強度が著しく低下し、少しの力でボロボロに崩れるようになります。そのため、塗装などの保護なしにABSを屋外用途で使用することは避けるべきです。
電気特性

ABSは絶縁性に優れた材料であり、一般的な電気・電子部品の筐体などには問題なく使用できます。しかし、高電圧がかかる部分や、電気的な安全性が厳しく問われる用途では注意が必要です。具体的には、耐トラッキング性(絶縁破壊への抵抗力)や耐アーク性においては、PBTやPA(ポリアミド)などの材料に劣る傾向があります。電気的な負荷が高い部分や、スパークの可能性がある箇所の絶縁材としては、より電気特性に優れた材料を選定する方が安全です。
ABSが誤選定される理由
ABSは非常に使い勝手が良いため、設計の初期段階で安易に選定されがちです。しかし、それが後にトラブルの原因となるケースが後を絶ちません。なぜ誤選定が起こるのか、その背景を解説します。
バランスの良さが誤解を生む
「とりあえずABSを使っておけば大きな失敗はない」という認識が、誤選定の入り口となります。確かにABSはバランスが良い材料ですが、それは「中庸」であるという意味でもあります。
試作段階や短期間のテストでは、ABSの弱点が露呈しないことがよくあります。常温・常湿の環境下で、新品の状態であれば問題なく機能するため、本来必要とされる長期耐久性や耐環境性能が見落とされ、量産後に市場での不具合として顕在化することになります。
使用環境の複合負荷を過小評価しがち
製品が使用される環境は単純ではありません。温度が高い状態で荷重がかかったり、薬品が付着した状態で応力がかかったりと、複数の負荷が同時に作用することが一般的です。単独の条件であればABSでも耐えられる場合でも、温度、薬液、応力が重なると、許容範囲が一気に狭まります。設計者は個別のスペック(耐熱温度や引張強度)だけで判断しがちですが、複合的なストレスがABSの限界を超えてしまうケースを過小評価してはいけません。
応力集中部の割れが設計段階で見落とされやすい
前述の通り、ABSはノッチ感受性が高い材料です。しかし、設計図面上では応力集中のリスクが見えにくいことがあります。特にスナップフィット、リブの根元、ボスの付け根などは応力が集中しやすい部位です。ここに十分なRを設けなかったり、組立時に過度な変形を強いる設計にしてしまったりすると、時間の経過と共にクリープ破壊や応力割れが発生します。ABSの「粘り」を過信し、構造的な弱点を見落として採用してしまう例が多く見られます。
設計初期で“とりあえずABS”が選ばれやすい
コストと成形性の良さは、ABSの大きな魅力です。プロジェクトの初期段階ではコストダウンの圧力が強く、また成形トラブルを避けたいという心理も働くため、「まずはABSで設計し、ダメなら考えよう」という思考になりがちです。しかし、開発が進んでから材料を変更すると、金型の修正や再設計が必要になり、手戻りのコストが膨大になります。安易な「とりあえずABS」は、結果的にコスト増や納期遅延を招くリスクがあります。
温度プロファイル・湿度条件の誤算
机上の計算や実験室環境と、実機の使用環境には乖離があります。例えば、機器内部の局所的な温度上昇や、輸出時のコンテナ内の高温多湿環境などが想定以上に厳しくなることがあります。設計時の想定温度がABSのHDTギリギリであった場合、実機でわずかに温度が上振れしただけで剛性が保てなくなり、変形などの不具合に至ります。吸湿による寸法変化も同様で、湿度の高い地域での使用を考慮しきれていない場合に問題となります。
ABSから上位材料へ置換すべき条件
ABSでは性能不足となる場合、より高性能なエンプラへの置換を検討する必要があります。ここでは、具体的な条件と推奨材料を挙げます。
耐熱要求がHDTを超える場合
使用環境温度や自己発熱により、温度が80℃~100℃付近、あるいはそれ以上になる場合は、ABSでは耐えられません。この場合、PC(ポリカーボネート)、PBT(ポリブチレンテレフタレート)、PA66などを検討します。PCは120℃以上のHDTを持ち、透明性や耐衝撃性も優れています。PBTやPA66は結晶性樹脂であり、荷重たわみ温度が高く、特にガラス繊維を充填することで大幅に耐熱性を向上させることができます。
薬液・アルコール・次亜塩素酸に触れる場合
医療機器、食品関連機器、あるいは日常的に消毒が行われる製品では、ABSの耐薬品性は致命的です。こうした用途では、PBTや変性PPE(ポリフェニレンエーテル)が推奨されます。PBTは結晶性であり、多くの有機溶剤や油、アルコールに対して優れた耐性を持ちます。変性PPEも加水分解に強く、酸やアルカリに対して良好な耐性を示します。なお、PPSUやPEIは極めて高い耐薬品性と耐熱性を持ちますが、材料コストが大幅に跳ね上がるため、特殊な医療用途など、コスト増が許容される用途に限定されます。
応力集中・繰返し荷重が存在する場合
スナップフィットによる締結や、バネのような繰り返し荷重がかかる部品では、クリープ特性や疲労特性が重要になります。ABSはクリープにより変形しやすいため、長期的な締結力の維持には不安があります。こうした箇所には、強靭でクリープ特性に優れたPCや、疲労特性が良いPBT、PA66が適しています。特にPOMはバネ性や摺動性に優れますが、PCやPBTも構造部材として高い信頼性を発揮します。
精密寸法要求(イメージとしては±0.05 mm級)がある場合
ギアや軸受周辺など、高い寸法精度が要求される部品において、ABSの吸湿や熱による寸法変化は無視できません。より高い寸法安定性を求めるなら、PBT、特にガラス繊維強化グレードやミネラル強化グレードが有効です。これらは吸水率が低く、線膨張係数も小さいため、環境変化に対して安定した寸法を維持します。
屋外・紫外線環境

屋外で使用する筐体や外装部品には、ABSは不向きです。この場合、ABSの骨格を持ちながら耐候性を向上させたASA樹脂(アクリロニトリル・スチレン・アクリレート)やAES樹脂(アクリロニトリル・エチレン・スチレン)への置換が第一候補となります。これらはゴム成分を耐候性の高いものに置き換えており、屋外でも変色や劣化が少なくて済みます。また、PCも耐候処方グレードを選定すれば使用可能です。
材料選定フロー
最適な材料を選定するためには、体系的なアプローチが必要です。府中プラでは以下のフローを推奨します。
まず、製品の「使用条件」を具体的に整理します。最高・最低温度、接触する可能性のある薬品(洗剤や油を含む)、かかる荷重の種類(静荷重か衝撃か)、求められる寸法公差、そして設置場所が屋内か屋外かを明確にします。
次に、その条件が「ABSの弱点」に該当するかを確認します。高温、薬品接触、屋外使用などが一つでも当てはまる場合、ABSの使用はリスクが高いと判断します。
続いて、要求される性能ごとに候補材料を挙げます。耐熱が必要ならPCやPA、耐薬ならPBTといった具合です。この段階では複数の候補を残しておきます。
最後に、成形性、材料コスト、市場での供給性を比較します。いくら性能が良くても、成形が著しく困難であったり、入手性が悪かったりする材料は量産には不向きです。トータルのバランスを見て、最終的な材料を決定します。
まとめ
ABSは優れたバランスを持つ材料ですが、温度、薬品、応力、寸法精度への要求が高い用途では、その限界を理解した上で上位材料への置換が必要です。安易な選定はトラブルの元となります。府中プラでは、お客様の製品仕様に合わせ、最適な樹脂選定をサポートします。確実な設計のために、ぜひ材料の特性を深く考慮してください。

