技術解説

射出成形メーカーの化学物質管理 ― 製品含有化学物質管理とJAMPガイドラインの入門解説 ―

射出成形メーカーの化学物質管理 ― 製品含有化学物質管理とJAMPガイドラインの入門解説 ―

シリーズコラム第1回

製造業において、製品に含まれる化学物質の管理は、品質管理や納期管理と同様に極めて重要な業務プロセスとなりました。欧州(EU)や米国、そしてアジア諸国において環境規制が急速に強化されており、その影響はサプライチェーンの末端に至るまで波及しています。

本コラムシリーズでは、全10回にわたり、射出成形メーカーの視点から化学物質管理について解説します。筆者は前職において、欧州市場向け機器製品の化学物質管理体制の構築に携わり、全社的な仕組みづくりの導入を指揮統括しました。こうした実務に基づく知見を背景として、府中プラではJAMPガイドラインを基礎とした管理文書体系を整備し、化学物質管理体制の構築を本格的に進めています。第1回となる本コラムでは、まず全体像を把握するための基礎知識と、成形メーカーが直面する責任の範囲について整理します。

シリーズコラム全体紹介

第1回:射出成形メーカーの化学物質管理 ― 製品含有化学物質管理とJAMPガイドラインの入門解説 ―

第2回:REACH規則の基礎 ― 成形メーカーが押さえるべき国際規制の全貌 ―

第3回:REACH最新動向とPFAS規制 - SVHC拡大が部品調達・材料選定に与える影響 -

第4回:国際化学物質規制の全体像 - POPs条約・TSCA・アジア規制と射出成形部品調達における実務ポイント -

第5回:日本の化学物質規制(化審法・化管法)の基礎と射出成形メーカーの実務ポイント

第6回:JAMP管理ガイドラインと射出成形メーカーに必要な文書体系

第7回:射出成形メーカーにおける化学物質情報の収集・管理・提供

第8回:化学物質不適合はなぜ起きるのか? - 業界の不適合事例から学ぶリスクポイント -

第9回:グローバル規制の最前線と成形現場への影響 - TSCA・MOSH/MOAH・アジア規制の最新動向 -

第10回:射出成形メーカーに求められる化学物質管理とは? - 規制多極化時代の実務指針と府中プラのこれから -

化学物質管理とは何か:基本概念の整理

化学物質管理という言葉は広義に使われますが、射出成形メーカーが顧客から求められる管理は、「製品含有化学物質管理」と呼ばれる領域です。本コラムでは、射出成形メーカーに特有の視点から、製品含有化学物質管理を整理していきます。

「化学物質」と「製品含有化学物質」の違い

工場運営においては、労働安全衛生法や消防法に基づき、洗浄剤や機械油などの「化学品」を管理します。これらは製造プロセスで使用されるものですが、製品そのものの構成要素とならない場合が多くあります。

一方で、本コラムで扱う「製品含有化学物質」とは、最終的に顧客へ納入する成形品(製品)に含まれ、市場に流通した後も残留する物質を指します。樹脂ペレットに含まれるポリマーや添加剤、着色剤(マスターバッチ)の顔料などがこれに該当します。成形メーカーにとって重要な視点は、工場で使用するすべての化学物質ではなく、「最終製品に残る物質は何か」を特定し、管理することです。プロセスで使用する離型剤や洗浄剤であっても、製品に付着・残留する場合は管理対象となり得るため、厳密な区分と理解が必要です。

製品含有化学物質管理の目的

なぜ、このような厳格な管理が必要なのでしょうか。主な目的は以下の4点に集約されます。第一に、法規制の遵守です。EUのREACH規則やRoHS指令など、特定の有害物質の使用を制限・禁止する法律が世界中で施行されています。これらに違反することは、顧客の製品が販売停止になるリスクに直結します。第二に、顧客要求(グリーン調達)への対応です。法規制への適合に加え、顧客独自の環境基準を満たすことが取引条件となるケースが増えています。第三に、サプライチェーン全体のリスク低減です。有害物質の混入リスクを上流から下流までコントロールすることで、市場回収やブランド毀損などの重大なトラブルを未然に防ぎます。第四に、トレーサビリティの確保です。万が一、問題が発生した際に、どのロットの材料が使用され、どの物質が含まれているかを迅速に追跡できる体制が求められます。

化学物質規制の全体像(グローバル視点)

日本国内で製造し、国内メーカーに納入する場合であっても、最終製品が海外へ輸出される限り、国際的な規制の影響を受けます。

主要規制の俯瞰(REACH・RoHS・POPs条約・TSCAなど)

成形メーカーが最低限理解しておくべき主要な規制には以下のものがあります。

  • REACH規則(EU): 化学物質の登録、評価、認可、制限に関する規則です。成形品に含まれる高懸念物質(SVHC)の情報伝達が義務付けられています。
  • RoHS指令(EU): 電気・電子機器に含まれる特定有害物質(鉛、水銀、カドミウム、六価クロム、PBB、PBDE、フタル酸エステル類4種)の使用を制限する指令です。
  • POPs条約(国際条約): 残留性有機汚染物質に関するストックホルム条約です。難分解性で生体蓄積性のある物質の製造・使用を原則禁止しています。
  • TSCA(米国): 有害物質規制法です。近年、PBT物質やPFAS(有機フッ素化合物)への規制強化が進んでおり、注目されています。

これらの規制は、顧客であるセットメーカーがグローバル展開している場合、府中プラのような部品メーカーにも間接的、あるいは直接的に適合が求められます。

REACHやRoHS、POPs条約、TSCAなどの詳細については、本シリーズの後半で個別に解説します。

規制の種類(禁止・含有制限・情報提供義務)

規制の内容は大きく分けて3つのカテゴリーがあります。

  1. 製造・使用の禁止: アスベストや特定のオゾン層破壊物質など、使用そのものが認められない物質です。
  2. 含有制限(閾値規制): RoHS指令のように、均質材料中の含有濃度が一定値(例:0.1wt%)を超えてはならないとするものです。意図的添加でなくとも、不純物としての混入も管理対象となります。
  3. 情報提供義務: REACH規則のSVHCのように、使用は禁止されていないものの、一定濃度を超えて含有する場合は、その情報をサプライチェーン下流へ伝達しなければならないものです。

成形メーカーは、使用する材料がこれらのどのカテゴリーに抵触するかを常に把握する必要があります。

規制が増え続ける理由

化学物質規制は年々増加し、複雑化しています。その背景には、人々の健康や安全に対する要求水準の高まりがあります。発がん性や生殖毒性など、人体への影響が懸念される物質への監視は厳しくなる一方です。
また、環境配慮型社会への移行やESG(環境・社会・ガバナンス)投資の潮流も影響しています。企業には利益追求だけでなく、環境負荷低減や社会的責任の履行が強く求められており、化学物質管理はその根幹をなす要素となっています。企業のリスクマネジメントとして、規制対応は「守り」であると同時に、信頼性を担保する「攻め」の要素も含んでいます。

サプライチェーンに広がる化学物質管理の責任

化学物質管理は、一社単独で完結できるものではありません。サプライチェーン全体での連携が不可欠です。

1社単独では管理できない理由

射出成形業は、材料メーカーから樹脂や添加剤を購入し、加工して部品にし、セットメーカーへ納入するというサプライチェーンの中間に位置します。私たちが製品に含まれる化学物質を把握するためには、上流の材料メーカーから正確な情報を入手しなければなりません。また、その情報を正確に下流の顧客へ伝達する必要があります。
もし、この情報の流れ(サプライチェーン上のコミュニケーション)がどこかで断絶したり、誤った情報が流れたりすれば、最終製品のコンプライアンス違反を招きます。成形メーカーは情報の「中継地点」として、情報の精度と鮮度を保つ重要な役割を担っています。

サプライヤー管理の重要性

材料メーカーが大手企業であっても、「メーカーを信じているから大丈夫」という姿勢では不十分です。化学物質管理においては、客観的な証拠がすべてです。
不使用証明書やSDS(安全データシート)、chemSHERPA(ケムシェルパ)などのデータを入手し、その内容を精査する必要があります。また、材料メーカーにおける原材料の変更や製造ラインの変更(4M変更)が、意図せず含有化学物質の変化をもたらすことがあります。ロットごとの変動リスクを理解し、定期的な確認や監査を行うなど、能動的なサプライヤー管理が求められます。

顧客要求は法規制より厳しいことが多い

多くのセットメーカーは、「グリーン調達基準書」や「管理対象物質リスト」を策定しています。これらは法規制をベースにしつつも、企業独自の方針により、規制対象外の物質まで管理対象としたり、法規制よりも厳しい閾値を設定したりすることが一般的です。
法規制さえ守っていれば良いというわけではなく、顧客ごとの個別要求事項を正確に理解し、それに基づいた材料選定や工程管理を行う必要があります。これは営業部門と品質保証部門が連携して対応すべき課題です。

成形メーカーが押さえるべき化学物質管理の基本要素

では、成形メーカーの現場では具体的に何を、どのように管理すべきでしょうか。

何を管理するのか(対象物の整理)

管理対象は、成形品を構成するすべての要素です。
主材となる樹脂ペレットはもちろん、着色のためのマスターバッチやドライカラー、機能性を付与する各種添加剤が含まれます。また、粉砕材(リターン材)を使用する場合、管理はより難しくなります。粉砕の過程で異物が混入するリスクや、熱履歴による物質の変化、さらには元となる成形品の履歴管理が重要になります。再生材を使用する際は、その由来と組成の不確実性を考慮した管理体制が必要です。

どう情報を扱うのか

入手した情報は、単に保管するだけでなく、適切に加工して顧客へ提供する必要があります。
現在、業界標準として広く普及しているのが「chemSHERPA」です。これはサプライチェーン全体で化学物質情報を共有するための共通スキームです。成形メーカーは、材料メーカーからchemSHERPAデータを入手し、自社の配合比率(樹脂と着色剤の混合比など)に基づいて成形品の成分情報を作成・集計し、顧客へ提出します。このデータ処理能力は、現代の成形メーカーにとって必須のスキルです。

不適合が起きる典型例

成形現場で化学物質管理上の不適合が発生する典型的なケースには以下のものがあります。

  • 情報提供ミス: 顧客への回答数値の入力ミスや、単位の取り違え(ppmと%など)。また、古いバージョンの調査リストを使用するなどの事務的ミス。
  • 混入(コンタミネーション): 段取り替え時のホッパーやシリンダーの清掃不足により、前の製品に使用した難燃剤や顔料が次の製品に混入するケース。特に規制物質を含む材料を使用した後の洗浄は徹底が必要です。
  • サイレントチェンジ: サプライヤーが連絡なしに原材料や副資材を変更し、それが原因で規制物質が混入するケース。

これらを防ぐためには、物理的な管理と情報の管理の両輪が必要です。

JAMP管理ガイドラインと文書体系の重要性

適切な管理を継続的に行うためには、個人の注意力に頼るのではなく、組織的な「仕組み」が必要です。その際の指針となるのが、JAMP(アーティクルマネジメント推進協議会)が発行する「製品含有化学物質管理ガイドライン」です。

JAMP管理ガイドラインの役割

JAMP管理ガイドラインは、JIS Z 7201(製品含有化学物質管理-原則及び指針)をベースに、より実務的な指針を示したものです。このガイドラインに沿って管理体制を構築することで、国際的な規制や顧客要求に対して標準的かつ網羅的に対応することが可能になります。
独自の管理ルールをゼロから作るのではなく、このガイドラインを参照することで、抜け漏れのない合理的なシステムを構築できます。成形メーカーにとっても、このガイドラインへの適合は、顧客からの信頼を得るためのパスポートとなります。

文書体系(0次〜3次文書)が“仕組み”の核となる

JAMPガイドラインでは、管理の仕組みを文書化することを求めています。これは一般的に以下のような階層構造になります。

  • 0次文書(方針): 経営層による化学物質管理へのコミットメント(環境品質方針など)。
  • 1次文書(規定): 全社的な管理のルール(化学物質管理規定)。
  • 2次文書(要領・手順): 各部門における具体的な業務手順(購買管理規定、製造管理規定など)。
  • 3次文書(記録・帳票): 実際に業務を行った証拠(リスト、点検表、教育記録など)。

この文書体系が整備されて初めて、業務が標準化され、担当者が変わっても同じ品質の管理が継続できます。属人化を排除し、組織としてリスクをコントロールするためには、この文書化が不可欠です。府中プラでも、文書体系の整備をしています。

まとめ

第1回では、化学物質管理の背景、規制の全体像、そして成形メーカーが担うべき責任について概説しました。化学物質管理は、もはや単なる法規制対応にとどまらず、品質(Quality)、コスト(Cost)、納期(Delivery)に並ぶ、製造業の競争力を左右する重要な要素です。
特に私たち成形メーカーは、サプライチェーンの中核として、正確な情報の入手と伝達、そして製造工程における確実な管理が求められます。

次回は、今回触れたJAMP管理ガイドラインと文書体系についてさらに深掘りし、具体的にどのような社内規定や手順書が必要になるのか、「仕組み編」として詳しく解説します。

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