JAMP管理ガイドラインと射出成形メーカーに必要な文書体系
シリーズコラム第6回
これまでのコラムでは、REACH規則や国内法といった「守るべきルール」について解説してきました。しかし、これらの複雑な規制を日常業務の中で漏れなく運用するためには、担当者の記憶や個人のスキルに頼るだけでは不十分です。組織としての強固な「仕組み」が不可欠です。
筆者は前職において、欧州市場向け機器製品の化学物質管理体制を構築し、REACH、RoHS、化審法などに対応した全社的な管理システムの導入を主導しました。その経験から言えることは、規制対応の難しさは「ルールの理解」そのものよりも、それを「日々の業務プロセスに落とし込むこと」にあるということです。
本コラムでは、化学物質管理の標準的な枠組みである「JAMP管理ガイドライン」をベースに、射出成形メーカーが整備すべき文書体系と、府中プラが実践している管理の仕組みについて解説します。
なぜ“仕組み化”が必要なのか
製造業において、化学物質管理を特定の担当者に依存する「属人化」した状態で放置することは、経営上の大きなリスクとなります。特に射出成形メーカーには、仕組み化を急がなければならない特有の背景があります。
法規制は「変わり続ける」ため、担当者の知識では対応できない
化学物質規制は静的なものではなく、常に変化する動的なものです。例えば、REACH規則のSVHC(高懸念物質)リストは半年ごとに更新され、管理対象物質が増え続けています。また、PFAS(有機フッ素化合物)の包括規制案や、TSCA(米国有害物質規制法)、POPs条約の対象物質追加など、世界中で新しい規制が次々と生まれています。
これらを一人の担当者がすべて暗記し、都度判断することは不可能です。情報が更新された際に、社内の確認フローが回るような仕組みが必要となります。
化学物質管理は「工程」ではなく「組織機能」
化学物質管理は、品質管理部門だけで完結する業務ではありません。新しい材料を選定する「営業・技術」、材料を発注する「購買」、成形を行う「製造」、製品を出荷する「品質保証」など、すべての部門が関わります。
例えば、製造現場での段取り替え時の洗浄不足や、粉砕材(リターン材)の混合比率管理、着色剤の配合ミスなどは、すべて化学物質リスクに直結します。特定の工程だけでなく、組織全体を横断する機能として管理システムを構築する必要があります。当社の化学物質管理に関する社内教育は特定部門を対象にしているのではなく、全部門、全社員を対象にしているのはこうした理由によります。
顧客の要求が多様化している
私たちのお客様であるセットメーカーは、法令順守はもちろんのこと、自社のブランドを守るために独自の管理基準を設けています。あるお客様は「法令で使用が認められていても、社内規定で禁止」とし、別のお客様は「含有量の測定データの提出」を求めるといった具合です。
多様化する要求に確実に応えるためには、都度対応ではなく、どのような要求が来ても対応できる標準化されたプロセスが必要です。特に電機・精密機器メーカーによるサプライヤー監査では、この「仕組みの有無」が厳しくチェックされます。
JAMP管理ガイドラインの構造と要点
仕組みを作る際、ゼロからルールを作る必要はありません。業界標準であるJAMP(アーティクルマネジメント推進協議会)の「製品含有化学物質管理ガイドライン」を活用することが合理的と言えるでしょう。
JAMPガイドラインの目的
JAMPガイドラインは、サプライチェーン全体で製品含有化学物質を適切に管理し、信頼性の高い情報を伝達するための指針です。ISO9001(品質マネジメントシステム)と親和性が高く、ISOのPDCAサイクル(計画・実行・評価・改善)の中に化学物質管理を組み込むことを推奨しています。これにより、品質管理の一部として化学物質を管理することが可能になります。当社がJAMPガイドラインに準拠して仕組みを構築したのは、客観性、信頼性の高い考え方、管理手法であることに加え、ISOを始めとする当社の既存の管理体制と併行して管理することができるためでした。
7つの管理枠組みのうち、成形メーカーが特に重要な領域
JAMPガイドラインでは管理の枠組みを定義していますが、射出成形メーカーが特に注力すべきは以下の3つの領域です。
設計・調達プロセスの管理
製品の含有化学物質は、材料選定の時点でほぼ決定します。樹脂ペレットだけでなく、着色剤(マスターバッチ)や機能性添加剤を選定する際に、SVHCやPRTR対象物質などが含まれていないか、あるいは含有量が把握できているかを確認するプロセスです。
製造プロセスの管理
意図しない化学物質の混入(コンタミネーション)を防ぐ管理です。特に重要なのが、成形機やホッパーの清掃(段取り替え)、粉砕材の履歴管理、そして二次加工(塗装や印刷)を外注する場合の委託先管理です。これらが適切に行われていることを担保する手順が必要です。
情報の収集・伝達・記録管理
材料メーカーからchemSHERPAやSDSを入手し、自社の配合情報と紐付けて管理し、顧客へ正確に伝達するプロセスです。また、それらの記録を確実に保管することも求められます。
射出成形メーカーに求められる文書体系(0次〜3次文書)
当社では、製品含有化学物質管理の実効性を高めるため、JAMP(アーティクルマネジメント推進協議会)が発行する「製品含有化学物質管理ガイドライン」を参考とした、当社固有の文書体系を構築しています。その最大の特徴は、文書管理の階層構造にあります。この構造により、理念から実務までが一気通貫で結びつき、管理体制全体が有機的に機能します。
0次文書:製品含有化学物質管理要求事項
ピラミッドの頂点に位置するのが、当社の化学物質管理における「憲法」とも言うべき『製品含有化学物質管理要求事項』です。この最上位文書の存在こそ、当社の管理体制における最大の特徴と言えます。
ここでは、単なる実務ルールではなく、「組織として化学物質管理にどう向き合うか」という基本方針や理念、トップマネジメントのコミットメントを明確に宣言しています。また、国際的なマネジメントシステム規格(ISO)の枠組みに倣い、組織の状況理解、リスクと機会への取り組み、リーダーシップ、パフォーマンス評価、継続的改善といった、PDCAサイクルを回すための基本的な考え方と要求事項を網羅的に規定しています。
この0次文書があることで、当社の化学物質管理が目先の対応に終始するものではなく、経営レベルの重要課題として、戦略的かつ継続的に取り組むべきものであることを社内で共有しています。
1次文書:製品含有化学物質管理マニュアル、グリーン調達管理基準
0次文書で示された方針や理念を、具体的なルールとして具現化するのが1次文書です。これは言わば、管理体制の「法律」にあたる部分です。
製品含有化学物質管理マニュアル
主に社内向けのルールを定めたものです。化学物質管理のための組織体制や各部門の役割・責任、目標設定、教育訓練、含有情報の入手・管理方法、製造工程での管理、不適合発生時の対応といった、社内における一連の運用プロセスを詳細に規定しています。
グリーン調達管理基準
サプライヤー様や外部委託先様にご協力をお願いするための基準です。当社が管理対象とする化学物質リスト(RoHS指令対象物質など)を明示し、納入いただく製品に関する含有化学物質情報の提供(chemSHERPA等)、品質保証体制の構築などを具体的にお願いする内容となっています。当然ながら、当社のお客様固有の化学物質管理基準がある場合は、それを最優先しています。
この2つの文書により、社内と社外(サプライチェーン)の両面で、遵守すべき基準とルールが明確になります。
2次・3次文書:個別業務の手順書、記録書、報告書類
1次文書という「法律」を、日々の業務で迷いなく実践できるようにするための具体的な「取扱説明書」や「証拠」にあたるのが、2次・3次文書です。
【2次文書】個別業務の手順書: 「誰が」、「何を」、「いつ」、「どのように」行うのかを、業務プロセスごとに詳細に定めています。例えば、『入出荷手順書』、『在庫管理手順書』、『変更管理手順書』など、具体的なアクションレベルまで落とし込まれた手順書を整備することで、業務の標準化と品質の均一化を図っています。
【3次文書】記録書、報告書類: 実行した業務内容や確認結果を「記録」として残すための様式です。『調査チェックリスト』、『外部監査報告書』、『教育訓練受講報告書』などがこれにあたります。これらの記録は、管理が適切に行われていることの客観的な証拠となり、トレーサビリティを確保する上で極めて重要な役割を果たします。
このように、当社では「理念→ルール→手順→記録」という一貫した流れを文書体系とした管理体制を敷いています。
府中プラの文書体系が実務にどう機能するか(提供価値)
属人化を防ぎ、誰でも同じ回答精度を出せる
文書化された手順(2次文書)があることで、ベテラン担当者だけでなく、どのスタッフが対応しても同じ精度で調査回答を作成できます。品質保証、営業、購買が連携するルールが明確であるため、回答の抜け漏れやミスを最小限に抑えることができます。
顧客の個別要求に柔軟に対応できる
当社の管理規定(1次文書)では、法令順守を最低基準とし、顧客ごとの個別要求を優先して管理することを定めています。例えば、PFASフリー要求や、特定のフタル酸エステルの全廃など、法令より厳しい基準であっても、標準化されたプロセスの中でスムーズに対応することが可能です。
材料メーカーとの協働を促進する仕組み
当社の変更管理規定では、材料メーカーを単に監視するのではなく、情報を共有し合うパートナーとして位置づけています。定期的に最新のchemSHERPAを要求するフローや、規制改正時の確認フローが確立されているため、材料メーカーにおける仕様変更や組成変更の情報を迅速にキャッチアップし、お客様への影響を未然に防ぎます。
証跡の一元管理により、顧客監査に強い
化学物質管理の重要関連業務は記録(3次文書)として残します。「いつ、どのロットの材料を使い、どの製品を作ったか」、「その材料の化学物質情報はいつ入手したものか」というトレーサビリティが確保されています。これにより、万が一の製品トラブル時にも迅速に原因を特定できるほか、お客様による工場監査や文書監査に対しても、高い信頼性と透明性を提示することができます。
まとめ
JAMP管理ガイドラインは、射出成形メーカーが化学物質管理レベルを高めるための最適なフレームワークです。そして、これを文書化し、運用するという「仕組み化」は、化学物質管理を品質(Q)、コスト(C)、納期(D)と同じレベルの経営基盤に引き上げることを意味します。
府中プラは、この文書体系をベースとし、変化する法規制や多様化する顧客要求に確実に応えられる体制を構築しています。お客様は、当社の部品を採用いただくことで、サプライチェーン管理のリスクを大幅に低減することができます。
次回からは、より実践的な内容に入ります。この仕組みの上で、実際にどのようにchemSHERPAを作成し、材料台帳を管理し、製品に含まれる化学物質の量を計算するのか。「実務編」として解説していきます。




