グローバル規制の最前線と成形現場への影響 - TSCA・MOSH/MOAH・アジア規制の最新動向 -
シリーズコラム第9回
化学物質規制といえば、長らく欧州のREACH規則やRoHS指令がその中心でした。しかし現在、その潮流は大きく変わりつつあります。米国におけるTSCA(有害物質規制法)の抜本的な強化や、欧州における新たなリスク物質(ミネラルオイル等)への監視、さらにはアジア各国の法整備など、規制は多極化し、より複雑になっています。
筆者は前職において、欧州市場向け製品の化学物質管理体制を構築し、全社的な導入を主導しました。その経験の中で痛感したのは、「規制は常に動き続けている」という事実です。ある日突然、使用していた添加剤が規制対象となり、代替材の検討に追われるという事態は、決して珍しいことではありません。
本コラムでは、成形メーカーの実務に直結する最新のグローバル規制動向として、米国のTSCA、欧州のMOSH/MOAH規制、そしてアジア規制について解説し、府中プラがどのようにこれらリスクに向き合っているかをお伝えします。
国際規制は“欧州中心”から“多極化”へ
かつて日本の製造業は、欧州の動向さえ注視していれば、概ねグローバルなコンプライアンスを維持できていました。しかし、現在は違います。
欧州ではPFAS(有機フッ素化合物)の包括的な制限案が議論される一方で、米国ではTSCAに基づき、過去に遡った報告義務や即時使用禁止といった強力な措置が講じられています。また、韓国や中国、台湾といったアジア諸国でも、独自の化学物質登録制度や含有制限が強化されています。
私たち成形メーカーは、単に「RoHS指令の10物質が入っていないか」を確認するだけでは不十分です。材料選定の段階で、世界各地で起きている規制の波を把握し、将来的なリスクを予見する視点が求められる時代になっています。
米国「TSCA」の急速な強化(最重要トピック)
近年、化学物質管理の実務において最もインパクトが大きいのが、米国のTSCA(有害物質規制法)の動向です。特に以下の点は、成形メーカーのサプライチェーン管理に直接的な影響を及ぼしています。
PFAS報告義務の実務インパクト
2023年に米国環境保護庁(EPA)が最終規則を公表した「PFAS報告ルール」は、産業界に衝撃を与えました。これは、2011年まで遡って、PFASを製造または輸入(製品への含有輸入を含む)した事業者に対し、その使用量や用途、廃棄方法などの報告を義務付けるものです。
この規制の恐ろしい点は、非常に微量であっても報告が必要となる点と、対象期間が過去10年以上に及ぶ点です。これにより、米国へ製品を輸出しているセットメーカーのお客様から、「過去に納入された部品にPFASが含まれていたか?」という調査依頼が急増しています。
成形メーカーとしては、現在使用している材料だけでなく、過去の材料履歴についてもトレーサビリティを確保し、材料メーカーと連携して含有の有無を確認する必要があります。
PBT5物質の混乱と今後の追加候補
2021年、TSCAに基づき、難分解性、生体蓄積性、毒性を有する5つの物質(PBT5物質)に対する規制が強化されました。中でも、難燃剤や可塑剤として広く使われていた「PIP(3:1)(リン酸トリス(イソプロピルフェニル))」の加工・流通が原則禁止とされたことは、電気電子業界に大きな混乱を招きました。
この事例から学ぶべきは、「材料メーカーの仕様変更は突然起こり得る」ということです。規制強化に伴い、材料メーカーが当該物質の使用を中止し、代替処方へ切り替える(4M変更)動きが加速します。成形メーカーがこの情報を早期にキャッチできなければ、知らないうちに規制物質を使用した部品を納入してしまうリスクがあります。
現在も、アスベストやトリクロロエチレン(TCE)など、ハイリスク物質のリスク評価が進んでおり、今後新たな規制物質が追加される可能性が高いため、注視が必要です。
北米向け製品で求められる“材料段階の透明性”
TSCAの強化により、北米市場向けの製品では、欧州REACHとは異なる基準での管理が求められます。
「欧州でOKだから米国でもOK」とは限りません。特に成形材料においては、添加剤レベルでの成分情報がブラックボックス化していると、TSCAの要求に対応できません。材料メーカーに対し、TSCA適合性を明記した証明書の提出を求めるなど、材料段階での透明性を確保することが不可欠です。
欧州規制の拡張:PFAS包括規制案・ミネラルオイル規制
規制の先進地である欧州でも、新たな領域への規制拡張が進んでいます。
PFAS包括規制案の産業影響
欧州化学品庁(ECHA)が進めているPFAS制限案は、特定のPFASだけでなく、フッ素構造を持つ物質をグループとして包括的に規制しようとするものです。
これが実施されれば、フッ素樹脂(PTFE等)やフッ素ゴムだけでなく、成形プロセスで使用される添加剤(難燃剤、ドリッピング防止剤)や離型剤、潤滑剤にまで影響が及ぶ可能性があります。用途別の例外措置や猶予期間の議論が続いていますが、射出成形業界にとっても「将来的に使えなくなる材料」が出てくるリスクがあります。
フランス ANSES の MOAH規制動向
現在、欧州で新たに注目されているのが「ミネラルオイル(鉱物油)」に関する規制です。特にフランスでは、食品接触材料や包装材に含まれる鉱物油飽和炭化水素(MOSH)および鉱物油芳香族炭化水素(MOAH)の制限が進んでいます。
MOSH/MOAHには発がん性や遺伝毒性の懸念があり、フランス食品・環境・労働衛生安全庁(ANSES)が中心となって規制を主導しています。
射出成形業界においてこの規制が特に関連するのは、主に「二次加工(塗装・印刷)」の領域です。成形品に塗布される塗料やインキの溶剤、あるいは添加剤として鉱物油由来の成分が含まれている場合、規制の対象となる可能性があります。特に化粧品容器や食品包装材、あるいはそれらに接触する可能性のある部品を製造する場合、使用する塗料やインキの成分選定に十分な注意が必要です。
REACH SVHC 追加の「傾向」を読む
REACH規則のSVHC(高懸念物質)リストは、半年ごとに更新され続けています。最近の傾向として、PFASに関連する物質(PFHxAなど)や、特定の難燃剤、光重合開始剤などが追加されています。
これらは、「規制が決まってから対応する」のではなく、「追加される傾向を読み、先回りしてリスクの低い材料を選定する」という発想が必要です。常に最新の候補物質リスト(Candidate List)を確認し、使用材料に含まれていないかをチェックする運用が求められます。
アジア規制の強化(K-REACH/台湾/中国)
視点をアジアに向けると、こちらも欧米に追随する形で規制強化が進んでいます。
- 韓国(K-REACH): 既存化学物質の登録猶予期限が順次到来しており、未登録物質を含む材料の輸出入が停止されるリスクがあります。
- 台湾(TCSCA): 毒性化学物質管理法に基づき、管理対象物質が追加されています。
- 中国: VOC(揮発性有機化合物)規制の厳格化や、中国版RoHSの改定議論などが進んでいます。
これらの国々は、日本の製造業にとって重要な生産拠点であり市場です。「アジアだから緩い」という認識は過去のものです。グローバルサプライチェーンの一翼を担う成形メーカーとして、これらの地域の規制動向も視野に入れておく必要があります。
府中プラの視点:素材選定段階での規制リスク評価が重要
このように多極化・複雑化するグローバル規制に対し、成形メーカーはどのように向き合うべきでしょうか。府中プラでは、「素材選定段階でのリスク評価」こそが、お客様を守る最大の防壁であると考えています。
変化を前提とした情報収集
規制は静的なルールではなく、動き続ける前提条件です。当社では、TSCAやMOSH/MOAHといった新規制の動向を継続的にモニタリングし、それが成形材料や副資材(塗料、インキ、洗浄剤)にどう影響するかを評価しています。
材料メーカーとの連携によるリスク回避
材料メーカーや塗料メーカーと密に連携し、規制リスクのある成分が含まれていないか、あるいは代替が可能かを確認します。特に、MOSH/MOAHのように塗料やインキが関わる規制については、二次加工を委託している協力会社とも情報を共有し、不適合リスクのない部材を選定するよう管理しています。
お客様へのプロアクティブな提案
お客様が指定された材料であっても、最新の規制動向に照らしてリスクがあると判断した場合は、速やかに情報提供を行い、必要に応じて代替材料や代替工法を提案します。「図面通りに作る」だけでなく、「規制適合を保証できる形で作る」ことが、当社の提供価値です。
まとめ
第9回では、TSCA、MOSH/MOAH、アジア規制といった最新のグローバル規制動向について解説しました。化学物質管理の世界では、新しいリスクが次々と顕在化します。これらは成形材料だけでなく、塗装や印刷といった二次加工のプロセスにも影響を及ぼします。
府中プラは、これらの最新動向を常に把握し、現場管理や材料選定に反映させることで、お客様のグローバル展開を足元から支援します。
次回は本シリーズの最終回です。これまでの連載を総括し、これからの射出成形メーカーに求められる化学物質管理のあり方と、私たちが目指す未来についてお話しします。




